線状降水帯の「府県単位」「半日前」予測はこうして生まれた。気象庁×デジタル庁、スパコン整備の舞台裏
災害級の大雨や線状降水帯による豪雨の予報を、より早く、より詳しく――。
現在、気象庁では台風や集中豪雨など自然災害をもたらす事象の予測精度を向上させるため、新たなスーパーコンピュータシステムを導入し、「気象業務のデジタルトランスフォーメーション」に取り組んでいます。
デジタル庁では、気象庁の新たなスーパーコンピュータシステムの導入に際し、プロジェクト全体を支援。複雑なプロジェクトの実現に貢献しています。
気象庁では、線状降水帯の予測精度向上のため、観測の強化を進めるとともに、予測の強化として2023~24年の2年間をかけて2式のスーパーコンピュータ(スパコン)を導入、これらを一体的に運用することで、2024年5月から線状降水帯の発生の予測を「府県単位」で半日程度前からできるようになりました。
システム開発・整備とその支援に関わった気象庁とデジタル庁のプロジェクトメンバーに、これまでの道のりを聞きました。
新世代のスパコン2式を運用、前世代の約4倍の計算能力を発揮
――気象庁では1959年から気象予測のためにスーパーコンピュータが用いられてきました。現在運用中のスーパーコンピュータは第11世代にあたります。天気予報の現場でスパコンはどのように用いられているのでしょうか。
気象庁・田内:
気象庁ではスパコンを用いて、世界中から集めた観測データをもとに現時点の地球の大気状態を再現し、風や降水などの状態をシミュレーションしています。
具体的には、大気をメッシュ(格子)状に切って、その格子ごとに現在の気温・風などの気象要素や海面水温・地面温度などの値を割り当てて、地球の大気や海洋・陸地の状態変化を計算する「数値予報モデル」でシミュレーションします。
このように現在の大気の状態が、次の瞬間にどう変わるか、またその次の瞬間は……という具合に、気象状況(今)をもとに時間変化をスパコンで繰り返し計算することで、未来の気象を予測しています。計算に用いるプログラムも内製で、気象庁の数値予報課が開発を担っています。
とはいっても、スパコンがはじき出した結果が、そのまま皆さんが目にする天気予報として使われているわけではありません。
スパコンを用いた数値予報による予測精度は着実に進歩していますが、そこにアメダス(地域気象観測システム)やレーダー、気象衛星「ひまわり」の観測データなども加味しながら、最後は長年にわたって経験を積んだ予報官が決断しています。
――気象庁では、2024年3月に導入した「NAPS11」のほか、2023年3月に導入した「NAPS11s(線状降水帯予測スーパーコンピュータ)」も運用されています。それぞれのスパコンにはどのような役割があるのでしょうか。
気象庁・田内:
線状降水帯の予測精度向上を加速化させるために、「NAPS11」に先行して導入したのが「NAPS11s」でした。線状降水帯を予測するための、より細かな解像度での計算に適した、理化学研究所のスパコン「富岳」のCPU(中央演算処理装置)や技術を用いた商用スパコンになります。
2024年3月に運用を開始した「NAPS11」は、日々の天気予報に使用する新世代のスパコンです。NAPS11の計算結果は、NAPS11sで線状降水帯の予測プログラムを実行するために必要なデータの初期値としても利用されています。
どちらも前世代のスパコン「NAPS10」と比較して実効性能としては約2倍、あわせた性能は約4倍程度になりました。
線状降水帯の予測性能が向上、迅速な防災対応に生かす
――2式のスパコンを一体的に運用することで、どのような成果が生まれていますか。
気象庁・千田:
新しい2式のスパコンの一体運用によって、水平解像度2kmのメッシュの数値予報モデル (局地モデル)による予報時間を10時間から18時間まで延長することができました。
これによって、半日程度先の雨の降り方を詳細に予測することができるようになり、ある程度は地域を絞って降雨を予測できるようになりました。具体的には、線状降水帯による大雨の半日程度前からの呼びかけを複数の府県をまとめた「地方単位」ではなく、特定の「府県単位」でできるようになりました。
たとえば、これまでは「九州地方に線状降水帯が発生するおそれ」としか発表できなかったのが、「福岡県と熊本県では線状降水帯が発生するおそれ」と発表できるようになりました。
もし夜に大雨が発生する可能性が予測されたら、明るいうちからの早めの避難を呼びかけることができるようになります。
実際、5月27日~28日にかけて、線状降水帯による大雨の半日程度前からの呼びかけを鹿児島県・宮崎県・徳島県・高知県・岐阜県・静岡県・愛知県で実施できました。
――線状降水帯の発生範囲を絞れるようになったことは、災害に備えるうえで有益な情報になりそうですね。
気象庁・千田:
防災対応をいち早くとらなければならない都道府県や市町村にとって、府県単位の予報は非常に有益な情報です。降雨が予測される地域が絞られることで、「自分たちの県に線状降水帯が発生するかもしれない」と認識でき、迅速で的確な防災対応ができるようになったからです。
先ほどご紹介した2024年5月の事例でもあらかじめ避難所を開設する対応につながり、宮崎県の自治体職員さんによる「準備と心構えができた」とのコメントが報道されたと聞いています。
線状降水帯の予測向上には、気象庁全体のプロジェクトとして取り組んでいます。スパコンだけでなく、観測のさらなる充実や気象衛星「ひまわり」の整備・運用などが一体となって、線状降水帯の予測向上を目指しています。
2025年度末までには、今までよりも細かい1km四方のメッシュの数値予報モデルによるシミュレーションが可能になるよう開発を進めていますし、また、「ひまわり」の後継機が運用を開始する予定の2029年度には、「府県単位」から「市町村単位」に対象地域を絞り込むことを目指しています。
――線状降水帯予測スパコン(NAPS11s)は、線状降水帯による災害が増えていることを受けて、線状降水帯の予測精度向上を加速化させるために開発・導入が計画されたそうですね。
気象庁・千田:
ニュースでも「線状降水帯」という言葉をお聞きになる機会が増えているかと思いますが、実際に線状降水帯による被害は激甚化しています。2021年7月に静岡県熱海市で発生した大雨による土砂災害なども記憶に新しいと思います。
気象庁としては、従来からも線状降水帯の予測精度の向上を推進し、精度向上を踏まえた情報の提供を早期に実現したいという思いをずっと抱いてきました。ただ、線状降水帯の発生メカニズム自体がまだ解明に向けた研究段階ということもあり、それを予測するシステムを開発するには難しい面がありました。
気象庁・田内:
線状降水帯を発生させる積乱雲は、非常に狭い範囲で発生し、雨が降る場所も限られます。こうした場所ごとに違う現象を計算するには、相当の計算機の能力と、開発期間が必要になります。
これまで使っていたスパコン(NAPS10)での対応は難しく、かといって次世代のスパコンの開発・導入にも時間を要します。それでも被害を少しでも小さくしたいと思い、予測精度の向上を続けてきましたが、熱海の災害などもあり、線状降水帯の予報精度向上は待ったなしの状況でした。
気象庁・千田:
そこで2021年度に補正予算が認められ、理研のスパコン「富岳」を活用した技術開発に加え、精度向上のための開発を加速するために線状降水帯予測スパコン(NAPS11s)を新たに導入して開発を前倒しで動かすことができました。
さらに次世代のスパコン(NAPS11)と一体的に運用する方針にしたことで、線状降水帯の予測精度向上のための成果を早期に実現させることができました。
同時並行でスパコン2式を整備、気象庁の横断的体制にデジタル庁も協力
――本来、1式のスパコンを整備するだけでも2年は要するそうですが、それを2年間に2式続けて整備しました。どのような困難に直面しましたか。
気象庁・千田:
2年がかりで開発・整備するようなスパコンの計画を同時並行で2つ進めることになったことで、さまざまな課題がありました。2式分ですから、調達仕様書の作成や性能評価の実施などから従来同様の整備作業全般で、通常と比べて2倍の作業量が必要になります。
特に2023年は、NAPS11sは設計から開発・構築、稼働に向けた作業を1年間でやりきる必要があり、それに加えてNAPS11の設計、開発も同時進行で進める必要があって、2つのラインが同時に動いている状況でした。気象庁全体でのプロジェクトとして整備に臨み、プログラム開発者やシステムの運用者も含め、のべ200人以上が参画しました。そのうちの数名は、デジタル庁からプロジェクトに参画してくださった方でした。
気象庁・西川:
これまでのスパコンとは異なり、NAPS11では新たなベンダーになったことも運用を移行するうえで難しかったところだと思います。
スパコンの仕様や機能、性能が高まって「半日前予測」「府県単位」が可能になったといっても、予測は一度出したら終わり……というわけではありません。24時間365日、安定して予測ができる運用体制を構築する必要があります。
そのためには、気象庁側とベンダー側が十分なコミュニケーションをとり、スパコンを用いることでどんなことを目指しているのかという基本的な考え方を互いの共通認識としなければなりません。
――整備・運用に携わる関係者全員の共通認識を形成することが重要だったわけですね。
気象庁・西川:
スパコンでどんなプログラムが、いつ実行されるのか。障害発生などの緊急時に気象庁がどう考え、どのような対応を求めているのか。新しいスパコンで実行プログラムを開発する方法や、運用をどのようにすればいいか。それらを固めたうえで、初めて移行作業を開始するというプロセスを踏む必要がありました。
加えて今回は異なる二つのスパコンシステムでの一体的な運用をするという初めての試みも加わり、その調整が特に難しいものでした。
気象庁・千田:
そこで支えていただいたのが、プロジェクトの進捗管理や業者との連携、内部連携のノウハウに通じていらっしゃったデジタル庁の職員の皆様でした。
特にベンダーとの打ち合わせや懸案事項・課題への対応と調整、整備体制の検討や議論のとりまとめ、利用者に向けた情報提供など、さまざまな相談や対応で支援していただきました。複数の関係者間で円滑なコミュニケーションをはかっていただけて非常に助かりました。
丁寧なコミュニケーションを意識、関係者の共通認識を構築
――ステークホルダーが多い中で円滑なコミュニケーションを担保できた背景には、どのような工夫があったのでしょうか。
デジタル庁・竹竝:
特にNAPS10からNAPS11への移行期間はそれぞれ新旧のベンダーとのやりとりを密にする必要があり、日程調整一つとっても、やりとりには困難がありました。
また、気象庁内でも整備担当者が在籍する東京・虎ノ門の本庁と実際にシステムが整備される清瀬市のシステム運用室と気象衛星センター、バックアップ用の機器を設置している大阪管区気象台の情報系の部署間の調整が必要でした。
相互理解には、やはり頻繁に打ち合わせや勉強会を実施するなど、丁寧なコミュニケーションを密にとることが欠かせません。開発時期はコロナ禍でもあり、対面での打ち合わせがなかなか実施できなかったのですが、そこを逆手にとってオンラインで頻繁に会議を開くようにしました。
何かあったらすぐに集まって話をする習慣を根付かせるだけでなく、繁忙期にはテーマを変えながら毎日のように打ち合わせを入れるようにしていました。
気象庁・田内:
また、新しいスパコンの環境整備だけではなく、それを毎日の業務で利用できるようにするための準備も必要です。見砂さんには、気象庁内のユーザーのフロントとして、業務利用環境設計や設定などにご対応いただきしました。
デジタル庁・見砂:
このシステムでは先ほどの線状降水帯予測の数値予報プログラムのほかにも使われている内製プログラムが2000以上あるのですが、それらが新しいシステムで正常に動作するよう、コードを修正して移植する必要がありました。
加えて、2020年に気象庁で組織再編があったのですが、再編前の組織に根付いた内製プログラムが前世代のスパコン(NAPS10)には残っていました。
こうしたプログラムの整理や交通整理も、新しいシステムを導入するタイミングで実施することになりました。
私自身も携わりましたが、非常に膨大な作業でした。ただ、お互いがたくさんのタスクを持っている中でも、小まめに相談ができる機会があることで、1人では回らないような仕事も高速で回せるようになったことは、プロジェクトを進めるうえで大きな力になりました。
自分が持っているノウハウや技術を生かし、少しでもいいシステムを作れたらいいなという思いを念頭に置きながら、整備に打ち込むことができました。
――地道な打ち合わせやコミュニケーションの積み重ねが、異例のスパコン2式体制を整備する上で支えになったわけですね。
気象庁・田内:
「気象情報は24時間365日絶え間なく提供する必要がある」という意識を、気象庁側とベンダー側が共有し、実際に何か問題が発生した際にすぐに連携できる体制を整えるためには、こうしたコミュニケーションの効果がありました。
お互いが「当たり前」と思っていたことが異なることもありましたし、同じ言葉を使っていても、同じ解釈かわからないことも生じます。そういう時に「こういうことですよね?」と自分の言葉で確認し、理解が一致しているかどうか、常に確認する。こうしたことの積み重ねが大きかったですね。
リモートでは意思疎通が難しいと感じる話題では、対面でも打ち合わせました。会議にホワイトボードを持ち込み、具体的な動きを絵に描いて視覚的に説明し、わかりにくい話をクリアにする工夫もしていました。
スパコンの運用が始まる2カ月程前からは、毎日朝9時半から30分の朝礼を開くようになりました。ここで進捗確認や問題点を共有し、各プロジェクトのニュアンスや状況を確認しました。故障が発生したら随時、リモート会議室に関係者が出ることで情報を共有するという習慣を作りました。
――2式のスパコンを運用する体制で、プログラムの実行とデータの管理も以前より複雑になったと思います。技術面の課題に対して、どのような工夫をしていますか。
気象庁・千田:
スパコンが2式体制になり、ジョブの投入先が多様になった点で前世代よりも複雑化したことは確かです。
そこで、気象庁ではプログラムを特定の時間に実行するためのシステム(ジョブスケジューラ[※2])を内製し、ベンダーのバッチジョブ管理ソフトウェア(TCS:Technical Computing Suite)と連携させて、ジョブの実行と運用管理を行っています。
スパコンの運用は、リソースの効率的な運用はもちろん、毎日の数値予報のルーチンを確実に実行することが重要です。
数値予報のルーチンを妨げないように、リソースの確保とともに、開発ジョブ(プログラム)を最大限に実行できる余地を残したり、不用意に開発ジョブをキャンセルしたりしないようにするなどの工夫もしています。
――気象庁では初代のスパコンの導入以来、旧世代の整備を経験した職員が次の世代のスパコン整備の中心を担うという流れが脈々と受け継がれてきたそうですね。
気象庁・田内:
スパコンを管理する人材は、気象庁情報通信基盤課のスパコン班が担っていますが、専任の職員はいません。職員は2~3年で異動するため、スパコンの更新プロジェクトのたびに、庁内の各部から横断的に職員が集まり、プロジェクトが終わると解散することになります。更新の企画や計画をした職員が異動し、整備作業は別の職員が音頭をとることは、よくあります。
スパコン班の職員は、毎年、研修に参加したり、受注業者の講習を受けたりしてはいますが、やはりスキルが一番伸びるのは、更新整備のプロジェクト期間中です。現場でのOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)やベンダーとの連携で、知識や経験をアップデートできるからです。
2024年4月からは、デジタル庁の職員が気象庁のスパコン班に出向しています。気象庁で受け継がれてきた知識や技術に、デジタル庁ならではの知見を加えることができる。こうした人事交流も、気象庁のスパコン整備や運用に大きく貢献できると期待しています。
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