デジタル庁が大切にしたい、アクセシビリティとアカウンタビリティ
こんにちは、内閣官房IT総合戦略室の大橋 正司と申します。
4月12日から内閣官房に非常勤で採用された民間人材のひとりです。普段は人間中心設計(HCD)や情報設計(IA)の仕事をしています。
最初のnoteへの皆様のご意見をひとつひとつ拝見しながら、何を書こうか迷っていたのですが、今日はアクセシビリティとアカウンタビリティ(説明責任)についてお話をしたいと思います。前回のnoteで広野さんから「透明感」というキーワードが出ましたが、その土台になるのが、アクセシビリティとアカウンタビリティです。
まずはデジタル庁(準備中)による最近の情報発信について、お話ししておきたいと思います。デジタル庁(準備中)では、サイトを自前で実装せずにSTUDIOを使ってサイトを立ち上げ、noteなどの外部サービスを積極的に使って情報発信をしています(これは、官公庁ではちょっと珍しいやり方です)。外部サービスの利用がアクセシビリティの向上に、どのように寄与するのでしょう?
なぜSTUDIOやnoteを情報発信に使うの?
デジタル庁(準備中)ではアクセシビリティを最も大切にしています。アクセシビリティの実効性は、プラットフォームやアーキテクチャに大きく依存しています。特に情報を広く共有する観点からは、SNSなどのサービス上で分かりやすく情報を発信していくことが、とても大切です。SNSの特性を上手に活かすことで、情報が分かりやすくなることも多いからです。
そしてデジタル社会においては、情報が発信され、咀嚼され、意思決定されるプロセスは特定の組織内に閉じたものではなく、持続可能性や社会へのインパクトを踏まえ、多様な人々や組織がオンライン上で関わり合いながら行われていくべきものです。
そのような時代の到来を前提にしたときに浮かび上がってくるのは、政府の提供するサービスや情報のアクセシビリティを担保するために、アクセシビリティへ配慮が十分ではない民間の事業者が提供するサービスの利用を一切排除した閉じた世界を自前で構築すべきなのか、という問いかけです。そもそも、すべてを政府が自前で構築しようとすることには、否定的な人も多いでしょう(民間には優れたサービスがたくさんあり、政府が構築してきた多くのサービスの使い勝手や品質は、皆さんご存知の状況です)。
そこで現段階、デジタル庁立ち上げ前の準備中の暫定の方針としては、「Webアクセシビリティに配慮されていないから使わない」のではなく「多くの人が使っているサービスを積極的に政府が使うことで、Webアクセシビリティが担保されていく機運の盛り上がりを支援する」ことにしました。
たとえばデジタル庁(準備中)のサイトでは、ノーコードツール(プログラミングをせずにWebサイトを作ることができるサービス)として、STUDIOを選定しています。本サービスは日本語に対応し、デザイナーの認知度や習熟度が高いことがその大きな理由となっています。
なお、その他の候補としては、たとえばGitHub Pagesを使うことを検討しています。しかし私たちのチーム体制(注1)においては、Pull RequestやIssueといった機能を通じての皆さんからのご指摘に対応する能力がなく、採用を断念しています。一番最小のコストで運用できるツールがSTUDIOでした。
STUDIOのようなノーコードツールを使うと、システム開発に充てるリソースを最小化し、デザインとコンテンツに集中できます。本プロジェクトでは、各省庁から集まった官僚の皆さんもお互いが「初めまして」に近い状態ですし、コンテンツ制作に慣れているわけでもありません。私たち民間人材も入庁したばかりで、キャッチアップが必要です。
そのような状況下で、わずか1ヶ月弱でデジタル庁(準備中)のサイトをゼロから立ち上げる必要があったのです。
実際、色やフォントなどデザインのトンマナを決め、掲載するコンテンツを収集し、テキストを整え、関係者の了承を得る作業だけでも精一杯な状況でした(そのときの裏側については、またどこかでお話します)。公開直前までコンテンツやレイアウトの修正依頼や相談がきましたが、迅速に対応できたのはノーコードツールを採用していたおかげだと感じています。
さて、とはいえこのSTUDIOを省庁のサイトで用いるには、日本のWebアクセシビリティの基準(JIS X 8341-3:2016)に対応している必要があります。STUDIOは昨年の12月に(私たちを採用するために立ち上げられた)採用サイトですでに使われ始めていましたが、デザイナーやWebエンジニアの皆さんはご存知のように、これまでのSTUDIOのWebアクセシビリティ対応状況は、そんなに良い状況とはいえません。
STUDIOのエンジニアさんたちにとっても、Webアクセシビリティ対応は大きな課題となっていました。そこで私の採用と担当が決まったあと、Webアクセシビリティの分野、コミュニティでご活躍のエンジニア、ゆうてんさん(@cloud10designs)、ますぴーさん(@masuP9)を、STUDIOの菅原さん(@oligin020)とおつなぎし、Webアクセシビリティの知見を共有いただく機会を作ることにしました。
この勉強会を経て、迅速にSTUDIOのエンジニアさんたちが対応を進めていった結果、まだ一般ユーザーの皆さんが利用可能にはなっていないものの、多くのWebアクセシビリティ対応のための機能が実装され、デジタル庁(準備中)のサイトで実践することができるようになりました。
ノーコードツールのWebアクセシビリティ対応能力が高まるということは、特別なコーディングの知識がなくても、Webアクセシビリティに配慮したWebサイトを作れる人が増えることを意味します。今後のSTUDIOの展開を楽しみにしたいところです。
この記事を執筆しているnoteでも、次々にWebアクセシビリティ関連の取組がアナウンスされています。こうした試みが日本のWebサービスのアクセシビリティ向上の機運を盛り上げることにつながっていくといいですよね。私たちが採用することによって、アクセシビリティを向上させようと努力されている皆さんの後押しになれたらと考えています。
既存の(政府の)統一基準群との整合性は?
私たちが現在所属しているIT室をはじめ、様々な政府機関がこれまでにWebサイトの開設と運用等に関する基準やガイドラインを定めています。noteをdigital.go.jpドメインにしていることについての是非を問う、これは政府のサイトなのか?noteのサービスなのか?それは許されるのか、というディスカッションがあります。関連しているガイドラインのひとつが、内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)が整備している「政府機関等の情報セキュリティ対策のための統一基準」です。
政府機関等の情報セキュリティ対策のための統一基準
4.1.3 ソーシャルメディアサービスによる情報発信
目的・趣旨
インターネット上において、ブログ、ソーシャルネットワーキングサービス、動画共有サイト等の、利用者が情報を発信し、形成していく様々なソーシャルメディアサービスが普及している。機関等においても、積極的な広報活動等を目的に、こうしたサービスが利用されるようになっている。しかし、民間事業者等により提供されているソーシャルメディアサー ビスは、.go.jp で終わるドメイン名(以下「政府ドメイン名」という。)を使用することができないため、真正なアカウントであることを国民等が確認できるようにする必要がある。また、機関等のアカウントを乗っ取られた場合や、利用しているソーシャルメディアサービスが予告なく停止した際に必要な情報を発信できない事態が生ずる場合も想定される。そのため、要安定情報を広く国民等に提供する際には、当該情報を必要とする国民等が一次情報 源を確認できるよう、情報発信方法を考慮する必要がある。加えて、虚偽情報により国民等 の混乱が生じることのないよう、発信元は、なりすまし対策等について措置を講じておく必要がある。このようなソーシャルメディアサービスは機能拡張やサービス追加等の技術進展が著しいことから、常に当該サービスの運用事業者等の動向等外部環境の変化に機敏に対応することが求められる。
念のためNISCにご確認した結論からいうと「違反していない」になりました。とはいえ、いくつか重要な論点があります。
ひとつめは、SNSに政府ドメインを利用できないことが前提とされていたところ、利用できるようになった( note.digital.go.jp )ことによって、外部サービスを利用しているのに、政府主体でサービスの提供や個人情報等の管理が行われているようにとみなされうる恐れがある(コントローラーが曖昧になる)こと。
これまでのガイドラインは、IT室で整備を進めてきた「Webサイトガイド」等を含め、SNSに独自ドメインを適用できることを前提としておらず、運用基準が不明瞭になっています。
ふたつめは、なんといってもセキュリティに気を配ることです。NISCのガイドラインはセキュリティの観点からの妥当性を保つためのスキームです。外部サービスやクラウドサービス、SNSを用いる場合には、セキュリティ上の安全性が担保されているかどうかを常に評価する必要があります。これはnoteのみならず、すべての(利用中の)サービスにおいて、その安全性を把握し、脆弱性を認知した場合には利用を停止したり、修正対応についての協議を(契約や利用の形態に応じ適切に)実施する必要があります。
なお、NISCの統一基準群も他のガイドラインも、ずっとこのままというわけではありません。時代にあわせて見直しが随時行われますので、今後の改訂では、今回のようなテーマが、議論の対象となっていく可能性があります。デジタル庁(準備中)のなかには、基準やガイドラインの見直しに取り組んでいるチームもいます。
STUDIOやnoteのデータ、アーカイブはどうする?
さて、STUDIOやnoteを使う上で、もうひとつ気がかりになるのが、データの永続性や移植性です。一度発信した情報が消えてしまうとなれば、将来の国民のアクセシビリティが喪われ、アカウンタビリティを果たすことができません。特にnoteにはデータのエクスポート機能がない、というご指摘もあります。
日本では、政府レベルでウェブサイトなどの電子的なデータを恒久的に保存する取り組みとして、国立国会図書館(以下「NDL」といいます)が進めている国立国会図書館インターネット資料収集保存事業(WARP)があります(この構想のビジョンを詳しく知りたい人は、つい先日多くの人に惜しまれながら亡くなられた長尾真元国立国会図書館長が唱えられた「電子図書館」構想を読んでみてください)。
WARPでは、サイトをクローリングして収集していますが、特に現行(2021年6月現在)のSTUDIOは、WARPのクローリングに対応していません。ただし、Webサイトのアーキテクチャは近年複雑なものになっており、すべてのサイトがクローリングで収集できるわけでもないので、国立国会図書館では、Webサイトを記録媒体に焼き付けて送ってもらったり(オンラインで送付してもらったり)することも想定されています。
緊急避難に近いやり方ではあるのですが、現在のデジタル庁(準備中)サイトは暫定のサイト(つまり正式なデジタル庁のサイトではない)なのを考慮すると、今回はノーコードにチャレンジする経験を積んだ方がいいと考えていることもあり、運用期間中のサイトデータは、クローリングしてもらうのではなく、物理的に送付することで収集いただく予定です。
ここまで、Twitter等を通じて寄せられた皆様からのフィードバックやご意見に関連したデジタル庁の考え方をご紹介してきましたが、これらのご意見に通底するテーマ、アクセシビリティとアカウンタビリティについて、少し掘り下げていきましょう。今回の記事の本題は、実はここからです(長くてごめんなさい)。
神託のアカウンタビリティとアクセシビリティ
古代ギリシアの人々は、重要な決断(だけではなかったようですが)をする際に神託を重視し、各地にある神託所へと赴きました。有名なのはデルフォイの神託です。その名声が轟くほど、神託を求めて各地から人々が集まるようになる。そうするとデルフォイは情報が集約されるハブとしての役割を果たすようになり、神託の精度も高まっていく。こうして神託が政治的な意味合いを帯びるようになると、各都市国家は重要な政策判断を行う際に、使節団をデルフォイに送るようになります。
各都市から訪れた使者たちは、神託を一言一句違えずに国に持ち帰る必要がありました。トランス状態になった巫女から下された神託がどのような意味を持つのか、議会で解釈するためです。
そこで神託は書き記され、情報の伝達媒体としての役割を担うとともに、神託を下す側にも重要な基礎資料として蓄積されるようになりました。これがアーカイブの始まりであり、遠く離れた情報にアクセスしようとする意思を人工物に固着させ、アクセシビリティを高めた最古の事例といえます(注2)。もっといえばこれは、アカウンタビリティ(説明責任)の始まりともいえるのかもしれません。最初のアカウンタビリティは、政治の舞台で下位機関の人たちが上位機関の人たちに対して果たすべきものだったのです。
アーカイブという言葉の語源もまた「統治者の館」を意味するギリシャ語「アルケイオン」からきています(近年はジャック・デリダ著『アーカイブの病』が翻訳された影響で、また別の議論もでてきています)。統治する(法律を作る)者のところには情報が集まってくる。孫子曰く「名君賢将の動きて人に勝ち、成功の衆に出ずるゆえんの者は、先知なり」。古今東西、情報を制する者が全てを制する構造は、21世紀になった今でもあまり変わっていません。
しかし、過去と決定的に異なることがいくつかあります。かつて統治者から国民や市民に向けられていた矢印は、今や逆に、市民から国家に対して向けられていることです。国の主権者は、私たち国民です。
フランス革命以後、あるいは活版印刷の登場といった情報伝達技術の進展によって、アーカイブは市民のためのものになりました。私たちは歴史にアクセスする権利を持つようになったのです。行政機関の意思決定基準やプロセスの透明性が担保されていなければ、主権者である私たちは、その内容の公平性や適切性を判断することができません。アクセシビリティというと、障害をお持ちの方への配慮といったイメージが強い方も多いと思いますが、デジタル庁が取り組む「アクセシビリティの向上」は、民主主義国家の根幹を成す権利をしっかりと守ることも指しており、すべての人に影響する最優先・最重要課題なのです。
ではこれまで、日本ではどのような取り組みが進んできたのでしょうか。日本アーカイブズ学会2018年度大会での宇賀克也先生のご講演(注3)などを参考に振り返ってみます。
行政のアカウンタビリティ向上、これまでの経緯
前回の広野さんの記事で登場した透明感というキーワード。おや?「透明性」ではなくて?と思われた方も多かったことと思います。「透明性」が法律に初めて登場する(注3)のは「行政手続法」(1993年)です。
行政手続法 第1条第1項
この法律は、処分、行政指導及び届出に関する手続並びに命令等を定める手続に関し、共通する事項を定めることによって、行政運営における公正の確保と透明性(行政上の意思決定について、その内容及び過程が国民にとって明らかであることをいう。第四十六条において同じ。)の向上を図り、もって国民の権利利益の保護に資することを目的とする。
この法律によって、それまでブラックボックスになりがちであった行政処分等の判断基準を原則として公開することが義務づけられるようになりました(注4)。さらに2005年に行われた同法の改正では、パブリックコメントが義務付けられるようになっています。それまでは「決定後に判断根拠を示せば良い」ものだったのが、「決定前にその基準を示して国民に問うべき」ものに変わったのです。次いで1998年に制定された「中央省庁等改革基本法」では、審議会等の会議の議事録の公開が義務づけられるようになりました。ちなみにこの当時、行政改革会議がまとめた最終報告には、このような記述があります。
行政改革会議最終報告Ⅰ 行政改革の理念と目標
こうした戦後型行政の問題点、すなわち、個別事業の利害や制約に拘束された政策企画部門の硬直性、利用者の利便を軽視した非効率な実施部門、不透明で閉鎖的な政策決定過程と政策評価・フィードバック機能の不在、各省庁の縦割りと、自らの所管領域には他省庁の口出しを許さぬという専権的・領土不可侵的所掌システムによる全体調整機能の不全といった問題点の打開こそが、今日われわれが取り組むべき行政改革の中核にあるといって差し支えないのである。(注5)
ふむー(ちょっと言いたいことがありすぎて言葉にならないですよね)。
さらに1999年(平成11年)に制定された情報公開法(行政機関の保有する情報の公開に関する法律)では行政文書は以下のように定義されることになりました。
情報公開法 第2条第2項
この法律において「行政文書」とは、行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書、図画及び電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録をいう。以下同じ。)であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう。ただし、次に掲げるものを除く。
一 官報、白書、新聞、雑誌、書籍その他不特定多数の者に販売することを目的として発行されるもの
二 公文書等の管理に関する法律(平成二十一年法律第六十六号)第二条第七項に規定する特定歴史公文書等
三 政令で定める研究所その他の施設において、政令で定めるところにより、歴史的若しくは文化的な資料又は学術研究用の資料として特別の管理がされているもの(前号に掲げるものを除く。)
(強調部分は著者)
行政文書はそのままにしておくと表に出てこないものが大半です。しかし、それらの情報にアクセスできないと国民が主権を行使できないので、きちんと開示しましょう、ということがこの法律で定められました。その意味では、デジタル庁を始めとした各省庁のウェブサイトは、そのままではアクセスできない情報を(開示請求をしなくても)アクセスできる重要な手段になっているのです。行政文書の範囲は広いのですが、行政機関のウェブサイトで公表されている情報は、主に検討結果や会議資料などです。行政文書の範囲は広いのですが、行政機関のウェブサイトで公表されている情報は、主に検討結果や会議資料などです。
個人的には、「検討結果や過程を公表する」ためだけにウェブサイトを用いるのであれば、その技術的な実装に相当する部分は、官報、白書、新聞、雑誌、書籍のような公表物として整理するほうが、コンテキスト上もデータが既に公知のものになっている性質上も適切であるとは思いますが、政策立案の過程自体がオープン化されていくのだとすれば、別種の議論が必要になるだろうと考えています。
なぜデジタル庁が「プロセス」を重視しているか
さて、この情報公開法では初めて「説明責任(アカウンタビリティ)」が法律に明文化され、一般に認知されるようになりました(それまでは行政学の分野で、少し違う意味で使われていました)。この法律によって初めて、行政機関はその意思決定過程をオープンにすることが義務付けられたのです。なぜデジタル庁が「プロセス」を重視しているかを遡ると、情報公開法や行政手続法がその背景にあるのですね。
情報公開法 第1条
この法律は、国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定めること等により、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的とする。
しかし、プロセスを開示するためには、意思決定過程に関する文書を適切に管理し、保存する必要が出てきます。情報公開法と両輪を成すとされているのが、先ほども出てきた「公文書等の管理に関する法律」(通称は公文書管理法)です。この法律の制定は2009年で、1959年に開館した日本最初の公文書館は山口県文書館ですから、それから50年を経てようやく国レベルの法律ができたことになります。なお、国の国立公文書館ができたのが1971年で、この7月1日に50周年を迎えます。
それまで(情報公開法の制定以前は)、日本の行政機関ではバラバラの基準で行政文書を管理・保管していました。さらに、その保存対象は(端的にいうと)意思決定結果の文書であり、意思決定過程文書を作成し保存していくことを義務化してはいなかったのです(多少ややこしいですが、公開するように定めるだけでは、「たまたま文書があれば出します」ということにしかならないわけですね)。
公文書管理法 第4条
行政機関の職員は、第一条の目的の達成に資するため、当該行政機関における経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証することができるよう、処理に係る事案が軽微なものである場合を除き、次に掲げる事項その他の事項について、文書を作成しなければならない。
一 法令の制定又は改廃及びその経緯
二 前号に定めるもののほか、閣議、関係行政機関の長で構成される会議又は省議(これらに準ずるものを含む。)の決定又は了解及びその経緯
三 複数の行政機関による申合せ又は他の行政機関若しくは地方公共団体に対して示す基準の設定及びその経緯
四 個人又は法人の権利義務の得喪及びその経緯
五 職員の人事に関する事項
公文書管理法の制定によって、意思決定過程を含めて記録に残す(行政文書を作成・保存する)ことが義務付けられるようになりました。もちろん、法律のルールが十分に守られていないなど、我が国の公文書管理には様々な問題があります。その一端として「残す意識」が浸透していないことがしばしば指摘されていますし、デジタル技術を活用して、ルールが自動的に守られるようにすることも必要です。現状では、紙媒体の管理を前提にした仕組みになっていますが、デジタルデータなどの行政文書(専門用語ではボーンデジタルといいます)の管理の在り方について公文書管理委員会デジタルワーキング・グループにおいて現在進行形で議論されています。
さらに、もう一歩踏み込むと「使う意識や技術」が浸透していないことも問題であると思います。まったく知らない資料を探し出し、その資料から正確な情報を見定め、つなぎあわせていく技術です。本稿も随分と長くなってきましたから、この点は改めて掘り下げていきたいと思います。
ライフサイクル論からレコードキーピングへ
記録や管理は本来は、テクノロジーの得意とするところです。テクノロジーの相性の良さと可能性を解説してくれる、私お気に入りのTEDがありますので、ご紹介しておきましょう。
きちんと見終わりましたか?OK。そもそも私たちが今こうして利用しているインターネットの初源は、アクセシビリティの追求から始まりました。Webテクノロジーは、アーカイブと相性がいいのです。
ティム・バーナーズ=リー
The power of the Web is in its universality. Access by everyone regardless of disability is an essential aspect.ウェブの持つパワーはそのユニバーサル性にある。障害の有無に関係なく、誰もがアクセスできることがWebの本質なのである。(注6)
近年では、紙資料ではなく最初から電子化されているボーンデジタルを前提とした文書管理の議論が世界的に行われています。これまでの紙ベースでの公文書管理では、文書を「組織で使われる度合いによって、だんだんとアーカイブの下へと(物理的に)切り離していく「ライフサイクル論」が主流となってきました。公文書管理法が前提にしているのも、この理論です。普段の業務と文書管理業務は物理的にも職能的にも切り離されています。
しかしデジタル化された時代には、物的な移動は前提になりませんし、普通に仕事をしている人にとっても実感の持てる話として、文書管理はより複雑で(なにせ、リアルタイムにチームで文書群は共有されているので)しっかり取り組まなければならないものになっています。
世界の最新の潮流では、オーストラリアのフランク・アップワードが提唱した「レコード・コンティニュアム論」など、記録管理を普段の業務と結びつけて考えるやり方(レコード・キーピング)がだんだんと検討されるようになってきています(日本ではようやく今年の1月から、公的なアーキビストの認証制度が始まった、という段階です)。
立ち遅れているのは行政機関だけではなく民間も同じで、さまざまな企業でアーカイブに取り組まれている方がいらっしゃいます。たとえばアニメのアーカイブ。アニメーションの制作では、原画や動画、設定資料などの紙ベースのアナログな中間成果物から、撮影・仕上げなどのボーンデジタルなデータ、上映用マスターデータまで、多種多様な素材管理が求められるのです。
デジタル庁の使命のひとつは、官民を問わずアーカイブ(というより、普段からの情報の取り扱いの最適化)を促進するためのイニシアチブを発揮していくことにあるのではないかと私は考えています。
なお、本章冒頭でご紹介したデルフォイの神託、当初は詩的な韻文で記述されていたようですが、神託が人気になっていくにつれ、そのような時間がかけられなくなったそうです。現代の私たちも「お世話になっております」を省略するようになったことを思えば、当時の人々の気持ちも少しわかるかもしれませんね。詳しくはプルタルコス(『英雄伝』を書いた人)によって、その顛末が描写されていますので、気になる方はぜひ、こちらもご参照ください。
次回の執筆担当時には、アクセシビリティの奥深さについて、もう少し多面的に触れていきたいと思います。公文書管理委員会デジタルワーキング・グループでの議論についても、随時参照を試みたいと思います。
それでは、また!
【2021年6月23日追記】行政文書の定義について、当該箇所を追記した内閣府大臣官房公文書管理課と協議し、noteを修正いたしました。その他不明瞭な箇所の補筆も行いました。
注1:現在、UX系のプロジェクトは専門家人材3人で担当していますが、アクセシビリティの専門家チームは現在採用中の段階(2021年6月22日現在、公募期間は終了しています)ですので、アクセシビリティのイニシアチブを発揮できる環境が整うのはこれからとなります。今は主に私が孤軍奮闘しています。
注2:青柳正規、御厨 貴、吉見俊哉「第2章 鼎談:アーカイブとは文化そのものである」『アーカイブ立国宣言:日本の文化資源を活かすために必要なこと』、2014年、p.36
注3:これらの議論は、日本アーカイブズ学会2018年度大会における宇賀 克也先生のご講演「意思形成過程の公文書の作成・保存と情報公開」と企画研究会「アーカイブズとアカウンタビリティ」のご議論を参考にしています。なお、「アーカイブズ」なのか「アーカイブ」なのか表記についても各論がありますが、本稿ではわかりやすさを優先しアーカイブで統一しています。
注4:行政手続法の制定以前は一部の個別法で聴聞・弁明手続が定められていました。行政手続法の制定により、原則すべての法律における処分等に、判断基準を公開することが原則として義務付けられるようになりました。
注5:「首相官邸ホームページ」( https://www.kantei.go.jp/jp/gyokaku/report-final/I.html 、2021年6月18日閲覧)
注6:W3C「Accessibility - W3C」( https://www.w3.org/standards/webdesign/accessibility 、2021年6月18日閲覧)。HypertextなどのWebの設計思想については、こちらもまたの機会にご紹介します。